1995年の神戸・震災 震災は、多くの人々に深い傷を残しました。
そんな中、後世に希望を伝えるために生まれたのが「しあわせ運べるように」という歌です。
この歌は、震災の記憶を保存し、再生の記念として、今でも多くの場所で歌われ続けています。
「しあわせ運べるように」を作った人は?
「しあわせ運べるように」は、当時中央区吾妻小学校に勤務されていた臼井真先生が作詞・作曲した歌です。
震災直後の神戸は、居住を失った人々が多く、絶望と不安が広がっていました。
この歌は、そのような状況にありながらも、希望を持ち続けることの大切さを伝えるために生まれました。
歌詞の中では「生まれ変わる」など前向きなフレーズがあります。
「しあわせ運べるように」歌の意義
「しあわせ運べるように」は、単なる震災記念の歌に留まっていません。
この歌を通じて、震災の事実を忘れないという記念以上に、この地域の人々が伝えたい主題は「再生の力」です。
これは、ただただ傷を記憶するだけではなく、そこから生まれた経験を人間の成長に縦継させることを目指しているのです。
今日においても、小学校や中学校の教育現場では、この歌が震災の事実を伝える教材として使用されています。
そして、追悼式典・ルミナリエ・成人式等でもこの歌が歌われるのは、この意義が日本全国の人々に共感されている証拠です。
成人式「はたちを祝う会」で合唱
神戸市で開かれる「はたちを祝う会」では、震災からの復興を願って作られた歌、「しあわせ運べるように」を全員で合唱します。
「しあわせ運べるように」を作詞・作曲した臼井真さんが登壇し、「亡くなられた方々、いまもなお悲しい思いをされている方々の心の傷が少しでも小さくなるように祈りを込めて一緒に歌いましょう」と出席者に語りかけ、合唱が始まります。
この歌は、神戸市の小学校を中心に長年にわたって歌い継がれていて、子どもの頃から歌ってきた若者たちは、臼井さんの指揮にあわせて合唱しました。
神戸で育った新成人は、「小学校の時からずっと歌ってきたので、大事な歌です」と話していました。
まとめ
「しあわせ運べるように」は、神戸・震災から生まれた歌です。
この歌は、震災の記憶を保存すると同時に、人々に希望を伝える力を持っています。
これからも、この歌が次世代にも残されていくことでしょう。